日頃、創作活動の合い間に考えていることを“つぶやいて”いきますので、お気軽に閲覧いただければ幸いです。
【2022年 8月】
2022.08.21(日) 「女流作家」
女流作家と言う言葉がだんだん失くなっていくように思いますが、今日お話するのは、日本画のなかでも大スター上村松園です。小説や映画でご存知な方もおられると思いますが、男尊女卑の明治に活躍した女性です。
何気ない日常を細やかに表現しています。描かれている衣装にもよくよく考えて描かれています。自分の人生を写しているかのような題材を感じます。描くことによって、心のなかを表現している。
少し前まで女性が働くことには、制約があり、ましてや男性社会の画壇で、いくら賞を貰っても絵が売れるなんて大変難しく、生きていくことの困難さは、大変なものだったと思います。セクハラという言葉さえなく、男性の中で頭角を現すには、いつも心に強い思いを隠し持って同性の中でも油断をしない、緊張感が常にあったことでしょう。
頼れるものは、自分だけ、弱みを隠し女であることも忘れてひたすら描くことにだけに、全てをぶつけていかれたのでしょう。いい加減さなんて一分もない厳しさ、でもやはり人一倍女であることに憧れて、いやはや、なんて我慢の人生、私には反省ばかりです。風俗画だけに止まらず凛とした女性の表現に勇気をもらえるように思います。
2022.08.01(月) 「絵の観方 その3」
ジョ-ジア・オキ-フという作家をご存知でしょうか?こんな毎日狂ったような暑さに思い出すような人です。抽象画の先駆者で晩年メキシコの砂漠に住んで制作、花を強烈な色彩と象徴的な形で描いています。
生きざまが凄いとしか言い様のないのです。1人で砂漠のなかで何を感じていたのか?生きざまが絵になる。鉄の心のなかに、葛藤があるのに、そぎおとして無駄を許さない緊張感が音のない風景のなかで描いているように思います。
何時の時代も女1人生きていくのは、大変、制作の背景を知るのも絵を観ることにはいいかもですが、これ程の強烈な人生なかなかないように思います。西洋でもやはり女であることは、困難が多いようで、歴史に残るような作家は、少ないのです。でも残る人は、物凄く男勝りで晩年の写真を見ると中性的。
日本にもそんな女流作家がいます。またそれについてお話していきたいと思います。