日頃、創作活動の合い間に考えていることを“つぶやいて”いきますので、お気軽に閲覧いただければ幸いです。
【2021年11月】
2021.11.21(日) 「京都植物園について」
今、鴨川沿いのところを商業施設にする案があると聞きました。お茶を飲んだり小物が買えるお店を作ろうとしているようですが、本来の植物園の有り様とは、なにか、先ず絶滅危惧主の保護、市民の憩いの場、100年の歴史の中で育った植物を簡単に終わらせて良いものか?
確かにおしゃれなカフェもレストランもよくあるようなお土産ショップもありませんが、何処にでもあるものを永く育んできた植物を切ってでも作る意味があるのでしょうか?ある人が京都には子供のための施設、あんぱんマンパークやディズニーランドみたいなものがあればいいのにと言われたことに見識のある方の意見かと思いました。
京都植物園は大型遊園地のようなものがないから、小さな子供を連れて毎日でも過ごせるのでは。桜を見て広場で走っていろんな葉っぱがあるのを知り、鳥の囀ずりを生で聞ける場所です。こんな安全で近くにある空間なんて、贅沢なことではないでしょうか。おしゃれなカフェなんてどこにでもあるし植物園でしか体験出来ないことをしっかりもう一度考えていくことが必要と思います。
よく考えて見て下さい。本当にいるものはなにか?京都という町が守ってきたものの考え方が京都という町の魅力であり財産と思いますが。 近頃文句が増えてきたようでいけないと思いますが、自分の意見を伝えることも大事と思います。
2021.11.16(火) 「今どきの京都の美術館に思うこと」
京都市の美術館に行きましたが、改装されてからとても分かりにくくなってしまっているように思います。動線が明らかに増えて、高齢者にはどうなんだろうと思えます。
先ず地下のような入り口自動ドアの前に立って、はじめて入り口らしいと認識しどんな展覧会がされていてキップをどう買うのか、コロナによって予約をスマホでしないといけないのもあり、普通にぷらっといって観れるのかうろうろして、案内人らしき人に聞く。ここでかなり機嫌が悪くなってきている感じ。
そこを我慢して階段を登ると目指す展覧会はどこでやっているのかキョロキョロ、子供のときから何度も来ているところなのにまた聞く。やっと入るといきなり音声ガイダンスのセールス説明を聞かないとわからないのか、もうかなりイライラ。展覧会の作品を好きに観て感じればいいではないかと言いたくなるのを押さえて鑑賞。勝手に見てもいいではないか、ほっといてと思う。
常設展示の作品を観るとやっと京都市のこの美術館の素晴らしさを感じる。ただこれからの収蔵は、どうなるのやら。陳腐などこでもする発想で現代アートだと言わないでほしい。京都の歴史が育んだ文化とは、日本そのものの代表、永く繋いできた技術、工芸や絵画、地に足をしっかりとつけてコツコツと繋いできた物ではと。
どこにでもありそうな一見おしゃれなスーベニアショップ、カフェそうじゃなくて、ここしか手に入らないもの、静かに作品と対峙出来る空間と自然光で鑑賞出来る時間、そもそも美術とは、自分勝手に好きや嫌いと思いそれぞれの目で認識すれば、いいでしょ。どんどん不満がわいてくるのでこの辺で。